昭和のプロ野球の中で天性のホームランバッターと言われる選手はたくさんいます。
その中でも昭和30年代でホームランバッターとして華を飾った選手がいます。
その選手の名は、中西太氏です!
本記事では元西鉄の中西太氏はどんな選手だったのかを「週刊ベースボール昭和33年5月7日号」を基にご紹介していきます!
元西鉄ライオンズ・中西太氏について
私は最近昭和のプロ野球に興味が湧き週刊ベースボール昭和33年5月7日号を購入しました。
週刊ベースボールが創刊されたのは昭和33年3月。
このころは当時の中西選手は全盛期を迎えていました。
では昭和30年代の中西太氏について解き明かしていきます!
中西太氏は昭和30年代の最長距離ホーマー
中西氏は西鉄の主砲として1953年~1956年、1958年と5度のリーグ本塁打王に輝いています。
本記事を作成するにあたって参考にした週刊ベースボールの発刊日は昭和33年(1958年)ということで、それまでに4度の本塁打王を獲得したスラッガーでした。
中西氏は昭和30年に平和台球場のセンター後方にあるスコアボード直撃の約152メートルを記録するホームランを記録し、当時の日本最長飛距離と言われてきました。
中西太氏のバットの重さは975g!
中西氏が使用していたバットの重さは260匁(975g)を使用していたそうです!
匁とは、
日本の尺貫法における質量の単位である(明治時代以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
という意味で、昔に質量の単位として使われていました。
1匁は3.75gにあたるということで、260匁は975gという計算。
1kgに近い重さで中西氏はホームランを量産していたということです。
975gのバットを軽々振っていた中西氏の怪力ぶりは凄まじいものです(笑)
中西太氏の得意な投手タイプは速球派の投手
中西氏が得意とする投手タイプは速球で真っ向勝負をする投手ということで、中西氏は速球が好みだったようですね(笑)
逆に技巧派の投手に苦手意識があり、チェンジ・オブ・ペースでかわすタイプの投手を苦手にしてたそう。
ホームランバッターとしては速球が一番打ちやすい球ですし、速球投手は速球を押してくる印象が強いので中西氏も速球投手が好みだったということです。
中西太氏の当時のライバルは山内一弘氏と野村克也氏
中西氏にとって昭和33年当時のライバルとして大毎オリオンズの主砲山内一弘氏と南海ホークスの主砲野村克也氏。
当時の山内氏はホームランもさることながら打率も高い打者として大毎オリオンズの主砲を担ってきた選手でした。
野村氏も南海ホークスの主砲として1957年にリーグ本塁打王を獲得しています。
中西氏とって同じパ・リーグの中では大毎の山内氏、南海の野村氏とホームラン争いでしのぎを削ってきました。
山内氏は1959年に本塁打王、野村氏は1958年に本塁打王を獲得しているのでパ・リーグの本塁打王争いは激しかったとわかります。
中西太氏流ホームランを打つコツは「力」
昭和33年5月7日号の週刊ベースボールの中で10分間インタビューというコーナーがあります。
10分間インタビューの中で当時の中西太氏に記者が「ホームランを打つコツは…」と質問していました。
中西氏の回答は、
「ホームランを打つコツなんてありません。力があって、いいバッティングができれば飛ぶことは確かですね」
と答えています!
当時は打撃理論より、感性でバッティングをしていたということですね!
中西氏のインタビューや記事を読んでみて中西氏らしい価値観だと思いました。笑
中西太氏は打率も高かった
中西氏のイメージは豪快にホームランを打つイメージが強いですが、打率も高かったのが中西氏のすごいところ。
1955年にはシーズン打率が.332と打率、本塁打で二冠。
確実性も兼ね備えていた中西氏の打撃はもはや最強です。
中西太氏の体格は日本人離れをしていた
昭和30年代の中西氏の体格は今の時代でも騒がれそうな体格でした。
身長は170cm半ばですが体重は95kgほどあり、現代であればおかわり君こと中村剛也選手や山川穂高選手ほどの体格であったといことです。
写真を見てもとても素晴らしい体格をしています。
中西太氏は大きな体格でありながら守備・走塁も高評価
中西氏は体が大きく打撃では非凡なものがありましたが、守備や走塁に関してはどうだったのかと気になるところです。
しかし中西氏の守備は柔らかいグラブ捌きが評判で、リーグ随一の守備と言われるほど賞賛されていました。
走塁も大きい体格に似合わず足も速く、1953年には36盗塁を記録してトリプルスリーを達成!
積極走塁も評価されて走攻守すべてにおいて高い評価を受けていました!
元西鉄ライオンズ・中西太氏について まとめ
本記事では週刊ベースボール昭和33年5月7日号を基に中西氏についてザックリご紹介させて頂きました!
昭和28年から昭和33年の間の中西氏はもう最強でした。笑
1959年以降は腱鞘炎を患って思うようなプレーが出来なかったということですが、もし怪我がなければまだまだ怪物的な成績を残し続けたと思います。
中西氏のプレーを間近で見てみたかったですね!
中西太氏は1999年に殿堂入り
中西氏は1999年に野球殿堂入りを果たしています。
選手として素晴らしい活躍をしてきた中西氏は殿堂表彰者に値する選手です。
中西氏の活躍は今後もプロ野球界に語り継がれていくことでしょう。
私もより多くの方に中西氏の活躍を語り継ぐ一人としてこの記事が多くの方に頂けれたら嬉しいです!